【第13回】失踪

 翌日の朝、ガブリエルの部屋のドアがノックされた。ガブリエルは起き抜けだったが、あわててガウンを羽織り、眼鏡をかけて鏡の前で髪をなでつけてから、ドアを開けた。

 …そこにいたのは私服のボヘミア国王だった。彼はガブリエルの様子を見てとって、無表情に切り出した。

「君の部屋か。なにか期待が外れたのかな?」

「いいえ、別に……」

「少し話を聞きたいんだが」

 ガブリエルは露骨に落胆しすぎたな、とあわてながら国王を部屋へ招き入れた。

 昨夜の国王は付けヒゲをつけていたが、ヒゲのない今は少し若返って見えた。服装も、昨日の悪趣味すれすれの仮装に比べれば地味すぎるくらいだ。

 ガブリエルは、自分がなんとなく彼に嫉妬を感じていることに気づいた。目につくものすべてが癪にさわる。厚い胸板、すばらしく筋肉のついた腕、服装が変わっても国王で通るような堂々とした態度。…すべてガブリエルにはないものだ。

「彼女はここにはいないんだな? 昨夜の四人目のアイリーン・アドラーは」

「いません。来たこともありません」

 やはりこの国王は彼女に惹かれている、とガブリエルは不安になった。昨日彼女はこの国王の強引さを嫌っているようだったが、こうして彼を目の前にすると、なにもかも自分より優れているように見えて、自信を持つ根拠が揺らいだ。勝てるとしたら若さくらいだ。…そしてその考えが、昨夜からの浮き立つような気分をすっかり消してしまった。胸の中に、忘れていた記憶が突然よみがえって杭でも打ったようだ。無限だと思っていた空間で、突然目の前に高い塀ができた。乗り越えられない塀が。

 この感覚は覚えがある、とガブリエルは思った。何度も経験した気がする。はっきりとは思い出せないが……。

「じつは」

 国王はすすめられた椅子には座らずに、立ったまま言った。

「彼女を探しているんだ。名前を知りたい」

「知りません。部屋も知りません」

「そうか」

 国王は射るような視線でガブリエルを見つめていたが、やがてため息をついて窓の外を見た。

「妙な女だ」

 なんだか風向きがヘンだ、とガブリエルは思った。「妙な女」?

「そんなことは……」

「いや、妙だ。私は一昨日の夜中にエンジンルームの前で彼女を見たんだ」

「迷子になっていたんです。僕はそのあと会いました」

国王はかすかに首をかしげてガブリエルを見た。

「そのあと?」

「ええ。僕も迷子になっていて、廊下で会ったんです。エンジンルームの手前まで行ったと言ってました」

 酔っ払っていたことは省いた。

「…なるほど?」

 国王は鋭い目でガブリエルを見た。こんな恐ろしい目でにらまれたら、知っていることはなんでも白状してしまいそうだ、とガブリエルは思った。 

「君は嘘はつかないようだな。これまでにほとんどすべての乗客に聞き込みが済んでいるんだが……」

「そ、そんなに聞いて回ったんですか?」

 ガブリエルは目をむいた。すごい執着だ。とてもかなわない。国王は一瞬あきれたように息を吐いたが、表情は変えずに答えた。

「…一人で聞き回ってるわけじゃない。警備隊に協力しているんだ。とにかくだれも彼女を知らないんだ。知らないどころか、昨夜まで目撃されたこともない。食事で必ず行くはずのレストランのウェイターにまでだ。彼女は何者なんだ?」

「…知りません。警備隊って……」

「君は親しいのでは?」

「少し話しただけです……密航だとでも言うんですか? エンジンルームに隠れて?」

 国王は今度こそあきれた態度を隠さずに、ガブリエルから視線をはずした。

「そんなことは不可能だ。これは量子駆動船だ。重力圏を出るまではエンジンがフル稼働する。密閉されたエンジンルームの内部はマイナス160度まで下がるんだぞ」

 ガブリエルは赤面して自分の無知を恥じたが、そんなこと普通は知らなくてもいいじゃないか、と心の中で思った。

「とにかく観光客が近づくところじゃない。真夜中に女が一人で、あんなところでなにをする?」

 あんたこそ、とガブリエルは心の中で思った。国王はガブリエルの周りを歩き始めた。

「ところで、昨夜盗難騒ぎがあったんだ」

「知ってます。現場の近くにいましたから、悲鳴を聞いてすぐ駆けつけました。…彼女も一緒でした」

 ガブリエルはちょっとあてつけるように言った。

「ほう?」

 ボヘミア国王は足をとめた。

「それは興味深い。昨夜の盗難騒ぎは三件あったんだが、そのどれかの現場近くに君たちはいたんだな?」

「三件も?」

「しかもすべてほぼ同時刻だ。まあ、盗難が発覚した時刻だから、同一犯人の仕業ということも考えられるな」

「あなたは…刑事かなにかですか? 仕事のためにこの船に乗っているんですか?」

 国王は少し眉をしかめた。

「刑事ではない。だが仕事で乗っている。…最後の仕事だ」

 国王はかすかになにかに耐えるような顔をして、この部屋に来てから初めて感情らしいものを見せた。

「…もう抜け殻みたいなものだ」

 国王は気を取り直したように顔をあげた。

「とにかく残りをあたる。邪魔をしたな」

 ガブリエルは少し同情を感じた。なんの仕事か知らないが、引退するのがそんなにつらいのだろうか。国王の後ろ姿を見送るガブリエルには、もう恋敵に対するようなとげとげしい感情はなかった。

 

 その日一日、ガブリエルは部屋のドアにメッセージを残して船内を歩き回ったが、アイリーンをつかまえることはできなかった。

 念のため、ウィンドルサム・イレギュラーズのたまり場になっているラウンジにも行った。長老たち数名にも聞いてみたが、心当たりはないようだった。元マスグレーヴはあきれたように言った。

「だから食事の約束をしておけといったのに!」

「だって…突然いなくなったんですよ。直前まで隣にいたのに……」

 そこへイレギュラーズの一人が入ってきた。

「月面空港への到着が少し遅れるらしいですよ」

「なにかあったのか?」

 長老が聞いた。

「レーダーみたいなシステムが不調だとかで。減速するそうです」

「…ウォッチ・アイ?」

 ガブリエルが無意識に言った。イレギュラーは微笑んだ。

「そうそう、ウォッチ・アイと言ってた。君は宇宙船にも詳しいのか」

「いえ……」

 ガブリエルは苦笑いをして黙りこくった。

 

*       *       *

 

 結局、アイリーンに関する情報はまったく得られなかった。かわりに、どの部屋にも彼女は宿泊しておらず、昨夜のパーティー以外で彼女を見かけたのは君と私だけである……というメッセージが、ボヘミア国王から届いていた。

しかしガブリエルは、そのメッセージを見る前にそれを知っていた。すでに正体不明のアイリーン・アドラーのことは、船内の噂になっていたのだ。

 

 翌日、すべての盗難品が見つかった。エンジンルームの中から。