【お試し読み】王殺し

1.黄金の王

 

 その夢の中で、彼は少年だった。

 見慣れた子供部屋の壁紙。机のうえにはインク壷と、緑色の革で装丁された数冊の本が置いてある。父にせがんで買ってもらった、未開地方の探検の本だ。

 父は毎晩決められた時刻に、子供部屋のランプを消してしまう。少年はこっそりロウソクをつけて、それらの本を貪るように読んだ。

 

…だがその大切な本の一冊から、切り取ってしまった色刷りの絵がある。

その絵は額にいれられ、壁にかけてあった。少年はベッドの中から…それは横になったまま見られる位置にかけてあった…その絵を眺めた。

 

 黄金色の肌をし、紅い腰布と鳥の羽の飾りをつけた蛮族の王が、気高くうつろに彼を見つめる。彼はそれを見つめ返す…

 少年は幻の蛮族に伝わる神話を思い出す。

『神は二人の息子をもった。二人は次の王の座を賭けて争い、相討ちで死んだ…』

 少年は目をとじ、黄金色の肌と長い黒髪をもつ二人の男が、短剣で互いを貫くのを見た。少年の胸は痛み、そしてまた高鳴った。

 …目をあけると、彼は一瞬自分がどこにいるのかわからなかった。狭いテントの中にかすかに光が射しこんでいる。頭のすぐ横に、ズック製のリュックサックとランプがある。

 …彼は、ロンドンを出たのが何ヶ月も前であることを思い出した。ポーツマスから船に乗り、海を渡り、河をさかのぼり、山道を歩き…それは長い道のりだった。

 彼は寝袋のなかから節くれだった手を伸ばし、使い込んだ分厚い手帳をとった。そしてそれをひらき、微笑んだ。すっかり色あせた蛮族の王が、そこにいた。

 ウォルター・キャバリエはもはや少年ではなく、民族学協会に籍をおく初老の研究者だった。

 その部族の存在が最初に確認されたのは、この地に黄金を求めてスペイン人たちがやってきた十六世紀のことだった。その膨大な手記や年代記に、彼らの痕跡を見ることができる。なかば伝説のようなまゆつばものの記述もあり、対照すれば矛盾する箇所がいくつもあった。

 

 いわく、彼らはペルーにあった大帝国タワンティン・スーユ…スペインに滅ぼされ、インカ帝国の名で知られる…の支配を逃れていた小部族であった。インカ帝国が滅びたあとは、スペインの支配をも逃れ、密林の奥に隠れた。

 …彼らは紅く染めた腰布と、さまざまな色の鳥の羽でできた頭飾りを身につけている。羽の数は身分を表し、頭飾りのない者は奴隷である。強い訛りのある、変成したケチュア語を話す。金や銀、エメラルドを豊富に持っている。その他のアンデス一帯の文化と同じく、文字を知らない。カハワキヨという、ヨーロッパには存在しない香を使う。

 

 …幻の蛮族の族長は、しばしばインカ帝国の後裔が再建したとされる黄金郷(エル・ドラード)の王と混同され、黄金の王(エル・レイ・ドラード)と呼ばれた。その王は、毎朝芳香のただよう樹液を体に塗り、金粉をつけて全身を輝かせるという。そして夕方には聖なる湖で沐浴し、その金粉を惜しげもなく洗い流してしまう。インカでは王が死ぬと遺体をミイラにするが、彼らはしない。

 

 …彼らは賢く、慎重で、交易に応じない。または人なつこく、旅人に豪華な食事をふるまう習慣がある。…または悪魔の徒で、野蛮な儀式の際にしばしば人間を食す…。

 

 彼らが最後に目撃されたのは百年ほど前、一七九二年にフランス人の探検家が道に迷い、彼らに助けられたときだった。彼らは瀕死の旅人を救い、食べ物を与えた。元気になると目隠しをしてリャマに乗せ、丸一日連れまわし、集落の場所がわからないようにしてから街道へ送り出した。

 戻った探検家の証言は、幻の蛮族に関する注釈に「けっして人食い人種ではない」という一文を付け加えた。しかしその後、彼らを目撃したヨーロッパ人はいなかった…

「…起きておられますか?」

 若い男の声が夢想を破った。テントのなかへ、声の主であるロバート・マイヤーの濃いブロンドの頭と、広い肩がぬっと入ってきた。

彼の本業は医師で、活発な好男子であり、化学分析が得意だった。結婚を控えていたが、理解のある婚約者を得て、今回の調査団では副団長を務めている。

 キャバリエは眺めていた手帳を閉じた。マイヤーは日焼けで真っ赤になった顔で微笑んだ。

「いい知らせです」

「なにか見つけたのか」

「焚き火のあとを見つけたようです。この先を谷へ降りたところで。ガイドのチャパクが、例の香料の匂いがしたと言っています」

 

 キャバリエは立ち上がり、テントの外に出た。緑の山々を見下ろす平らな野営地には、テントとリャマが並んでいた。現地で雇った荷役夫たちが、朝食のしたくをしている。混血(メスティーソ)の通訳が挨拶をし、テントから顔を出した調査団のメンバーが笑顔を投げかけた。キャバリエは彼らに笑顔を返し、見晴らしの良い岩のうえに登った。

 

 朝日が険しい山々のひだを浮き立たせ、眼下にはもやを通してリボンのように谷川が見えた。その川は密林へと流れ込み、記録によると、かの蛮族の国へと続いているのだ。

 キャバリエは空気を肺いっぱいに吸い込んだ。

 ついにその日がきたのだ。

 

2.蛮族の国

 

 ロバート・マイヤーは、控えの間にむせるほど焚かれた香を分析したくてうずうずしていた。嗅いだことのない香りだった。伝説の香カハワキヨはこれだろうか、と期待がふくらんだ。香りはみごとな石組みの壁にも滲みこんでいるように思われた。

 一行はすでに四十分ほど待たされていたが、装飾的な槍を持った男たちに囲まれ、自由に動くことができなかった。

 

 隣の部屋から、やっと通訳が戻ってきた。

「贈り物を気に入ったようです。歓迎するといっています。王と会うことができます」

 一同は安堵の息をもらした。

「ただし王に会えるのは一人だけです」

「よし、私が行こう」

 キャバリエが即答した。

「向こうの気が変わらないうちに。だが君はいっしょに来てくれるのだろうな?私は君ほど言葉が流暢でない。助けてもらう必要があるかもしれない」

「大丈夫だと思います」

「…香をもらえるように、頼んでくださいよ」

 マイヤーがキャバリエに言った。

「あわててはいかんよ」

「では行きましょう」

 通訳の青年はキャバリエを促した。

 

 王は若かった。見た目どおりなら二十代前半の青年で、キャバリエに息子がいたとすれば(彼は独身をとおしてきたのだが)ちょうどこのくらいだろう。体格は大きくはなく、遠目には華奢に見えた。しかし物腰は気高く、高い石の玉座から、異国人を哀れむように見おろした。

 

 王の装束はだいたい年代記にあるとおりだったが、肌は普通の原住民と同じ褐色で、金粉をつけてはいなかった。また、身につけている装飾品も黄金製ではなかった。紅い腰布に、羽とビーズと焼き物で装飾されたベルトをつけ、さまざまな色の糸を織り込んだ見事な布を肩にかけている。頭には鮮やかな紅色の羽飾り。額には太陽をかたどった青銅の飾りをつけていた。右手には勺杖をもち、黒い髪が肩から胸まで流れるようにかかっている。

 

 黄金を身につけていないことをのぞけば、王のたたずまいは本から切り取った絵にそっくりだった。キャバリエは、この王は自分が子供だった頃から若いままでいるようだ、という不思議な思いにかられた。王のまなざしは若さに似合わず落ち着きがあり、しかも強く、いきいきと輝いていた。

 

 王はかたわらにいる通詞(つうじ)になにかささやいた。王は謁見者とは直接口をきかないのだ。通詞が通訳に伝え、通訳はキャバリエに伝えた。もっともそのまえに、キャバリエには意味がわかっていた。

『おまえとおまえの家来たちすべてを、旅人としてもてなす。だが、いかなる交換にも応じない』

 予想通りの返答だった。キャバリエは深くお辞儀をしてから、たどたどしい現地語で言った。

『私は一緒に来た仲間のなかでは一番の年長で、彼らを率いています。しかし彼らは私の家来ではありません。また、われわれは商売をしにきたのではありません』

 通訳がいくつか補足の説明をした。王はなにか通詞に聞き、数度のやりとりのあと、返答が来た。

『目的はなにか』

『あなた方の暮らしを記録したいのです。衣服、食物、習慣、日常生活と儀式のすべてを』

『戦士の数は明かさぬ』

『お許しいただけるものだけでけっこうです』

『お前は誰に命ぜられてきたのか』

『自らの希望です。誰の命令でもありません』

『お前の国には王はいないのか』

『王にあたる方はおられますが、われわれの祖国では話し合いですべてを決めます。いわばすべての者が王で、助け合うのです』

 王は顔色を変えた。

 



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