Queers:モノローグで辿る英国のゲイの一世紀

イギリスで男性の同性愛行為が「違法でなくなった」のは1967年のこと。今年はそれから50周年にあたります。この夏にBBCがそれを記念し、"Gay Britania"という企画を展開していました。それに関連して出たのが、ご紹介する"Queers: Eight Monologues"マーク・ゲイティスさん(海外ドラマ『SHERLOCK』制作・脚本・マイクロフト役)が、Twitterでサイン本の宣伝をしていて知りました。Gay Britaniaの一環で放映された独白劇シリーズをまとめた戯曲集で、ゲイティス氏は全体のキュレーションと一本目の執筆を担当しています。

 

 

ゲイティス氏自身オープンなゲイであり、パートナーのイアン・ハラードさんとシビル・パートナーシップ(同性カップルに結婚に準じた権利を認めるイギリスの制度)の関係を結んでから10年近くになるそうで、LGBT関連の運動にもよく参加しておられます。むしろ推進役の一人と言ったほうがいいかもしれません。 

 

…ゲイティス氏のファンでもあり、自分の作品中でも及ばずながらイギリスのゲイのキャラクターを書いているので、このへんのリサーチはライフワーク化しているところ。これは一石二鳥であります。さっそくkindle版無料サンプルをダウンロード。サンプルはゲイティス氏によるイントロダクションだけでしたが、ご自身の少年時代の思い出から今回の企画の意図、八本のエピソードの紹介……と引き込まれてしまい、そのままコミティア会場からkindle版を購入しました。(当日店番しながらサンプルを読んでいました(笑))衝動買いでしたが後悔なしです!(^^)

 

イントロダクションによると――

 

この一世紀のイギリスを舞台にLGBT+の歴史全体を描こう、とは思わなかった

それよりずっとやりたかったことは、ゲイの男性の経験を詳しく掘り下げることだ」

(以下引用部は拙訳)

 

 ――とのこと。そんなわけで一つ一つのエピソードでは、節目になる年に居合わせた個人の体験が語られます。それぞれ約20分の独白劇=一人芝居が全部で八本で、同じキャストで舞台でも上演されたそうです。キャストのうち、少なくとも自分が確認している四人――ベン・ウィショーアラン・カミングイアン・ゲルダー、ラッセル・トーヴィー――は、実生活でもオープンなゲイの俳優さんです。

 

順不同で三本読んだところなんですが、資料という言い訳(?)を忘れて引き込まれています。うちの本をお読みくださっている方にはたぶん琴線に触れる内容だと思うので、少しご紹介してみたいと思います。

 

購入したkindle版"Queers: Eight Monologues"。表紙はベン・ウィショー、アラン・カミング、フィン・ホワイトヘッドら8人の出演者さんたち。Paperwhiteなのでモノクロなのがちと残念。
購入したkindle版"Queers: Eight Monologues"。表紙はベン・ウィショー、アラン・カミング、フィン・ホワイトヘッドら8人の出演者さんたち。Paperwhiteなのでモノクロなのがちと残念。

各エピソードの設定年代とタイトルは以下の通りで、ちょうど100年間です。(本は年代順の掲載ですが、放映の順番は少し違うようです)

 

1. (1917) The man on the platform

2. (1929) The perfect gentleman

3. (1941) Safest spot in town

4. (1957) Missing Alice

5. (1967) I miss the war

6. (1987) More anger

7. (1994) A grand day out

8. (2016) Something borrowed

 

読み終えたのは一本目、七本目、八本目で、最後の八本目では一番最初のエピソードをふっと思い出す仕掛けもありました。

 

一本目の"The man on the platform"(プラットフォームにいた男)は、第一次世界大戦から帰還した兵士の切ない回想。主人公は戦地で担架運びをしていましたが、上官との間に淡い交流があり……この淡さが、この時代のリアルな空気なのでしょう。でもそれゆえに、読み終えた中では一番「JUNE」らしい余韻を感じた一本でした。

 

演じたのは『007』シリーズのQなどで大人気のベン・ウィショー。前述の通りマーク・ゲイティス作の一本なのですが、この人はほんとに、良い意味でセンチメンタルなお膳立てを作るのがうまいなあ……とつくづく思います。ウィショーさんもセンチメンタルな表現でテンションを高めるのがすごく上手い俳優さんなので、鬼に金棒。さりげない内容なのにうるっときました。中で作家のオスカー・ワイルド(1854-1900)が話題になりますが、イントロダクションでゲイティス氏はこう語っています。

 

「ワイルドはこのモノローグに絶好のスタート地点だと思った。

しかし(物語は)この100年間の内に収めたかった。

じゃあ仮に、オスカー・ワイルドにまつわる記憶を持つ

誰かの視点をとったらどうだろう?
ひょっとしてその人物は、
ワイルドがレディング監獄に連行された恥辱の日に、
プラットフォームにいたんじゃないか?」

 

それで作品はワイルドそのものの物語ではなく、主人公が子供の頃に駅で「連行されるワイルド」を見かける、という扱いになっていました。そのときワイルドと目が合った主人公は、「自分が何者か」を見透かされた気持ちになります。

 

1885年に「ラブ―シェア修正条項」が成立してから同性愛行為は違法となり、オスカー・ワイルドはその罪で有罪となって収監されました。ゲイティス氏はイントロダクションでこの条項を「脅迫許可証」と書いています。たしかに、「金持ちの男性と同性愛関係を結んで後でゆする」という行為にお墨付きを与えたようなものですね。この時代の同性愛を題材にした作品では、この手の脅迫がよく触れられますね。

 

タイトルになっている「プラットフォームにいた男」は、この時のワイルドでもあり、最後にもう一度、泣けるシーンがあって二重の意味を持ちます。…イントロダクションでは、ワイルドの恋人だったアルフレッド・ダグラスが詩の中で同性愛を指した「その名を口にしえぬ愛」(the love that dare not speak its name)を踏まえて、「その名を口にされかけた愛」(a love that almost spoke its name)と表現されています。ラストのなりゆきは切なくて素敵ですが、いつか日本で放映されることを願って、詳細に書くのは控えておきます。

 

(たぶん非公式の露出なのでおおっぴらにはおすすめできませんが、映像はYouTubeで見ることができました。独白劇なので全部台詞で理解するしかなく、自分は聴き取るのは無理なので(^^;)、本で辞書を引きまくれて助かりました。余韻のあるラストになっていました)

 

次に読んだ七本目の"A grand day out"(大いなる小旅行)は、同性愛行為を合法とする年齢が21歳から18歳に引き下げられた、1994年のお話。この変更の審議と議会での投票が行われた時、おおぜいのゲイが議会に押し掛けたそうで、そのデモに参加した地方出身の17歳の少年の独白です。来る気はなかったけど、その日の朝に新聞にデレク・ジャーマンの訃報が載っていて……と、「行かなくちゃ」と衝動に駆られてからの体験を語ります。ジャーマンはエイズで亡くなった映画監督で、当時日本でもこの方の一連の映画のちょっとしたブームがありました。じつは、「Queer」(クイア:「奇妙な、いかがわしい」。俗語で同性愛者を軽蔑的に指す)という言葉を強烈にインプットしたのが、ジャーマンの映画『エドワードⅡ』の同名のムックだったという個人的な思い出があります。ジャーマンの名前が出てきて、その周辺のぼやけた記憶が掘り返される思いがしました。

 

初々しい主人公を演じるのはフィン・ホワイトヘッド。明日公開になる『ダンケルク』のメインキャストの一人です。

 

次に読んだのは、八本目にして全体の締めになる"Something borrowed"(借り物)。時代は2016年で、パブを会場に同性結婚のつつましい披露宴を控えた新郎の独白です。これまでのいじめなどの体験と、「夫」になる人との出会い、母への思い、その他もろもろの思い出や未来に向けた希望、警句などをチャーミングに語ります。演じるのはアラン・カミング。個人的には初めて名前を意識したのが『プランケット・アンド・マクレーン』でのおネエっぽい貴族役だったので、ずっと自然に「そういう」イメージでした。最近では『チョコレート・ドーナツ』でフェミニンなゲイ役を直球でやっていましたね。(『チョコレート…』は映画としてはちょっと残念な部分も感じましたが、逆にその理由を考えたことが勉強になり、カミングのみごとな歌唱力には素直に驚いた一本でありました)

 

そしてここでもオスカー・ワイルドが引用されます。主人公曰く、「ゲイの結婚にオスカー・ワイルドの引用は欠かせない」――しかも、「かつて介護施設で本を朗読してあげた盲目の老人」から聞いた言葉であり、その老人はワイルドを見たことがある、というので――年齢を考えると同一人物の可能性は低いですが、最初の一本が思い出され、百年の時の流れが目の前に立ち上がるような感覚がありました。

 

…というわけで、キャストも劇場映画主演クラスの方たちが参加してますし、日本でも見られたらいいなあと思うのですが……ちょっと細かい解説が必要な内容ではあるし、あくまで「イギリスでの」ゲイの歴史であり、日本ではまったく状況が違い、フィクションではあるものの史実の俯瞰と記念の要素が大きいので、日本でのテレビ放映はちょっと難しいかなあ、とも思います。でも、それこそNHKあたりでその手のドキュメンタリーと抱き合わせにすれば、いい企画になるんじゃないかとは思うんですけど……いや、自分が字幕付きで見たいだけなんですが。(笑)

 

 

*      *      *

 

 

 私事になりますが、じつは1967年は自分の生まれた年でもあります。なので、この年に「犯罪でなくなった」ことを知ったときは、ちょっと不思議な縁を感じました。「えっ、わりと最近のことなんだ」という驚きもありました。50年と言うとかなり昔に感じますけど、厚かましくも16くらいから感覚が変わってない(笑)身としては、「自分が生まれた年」とい言い換えると充分「最近」なんですよね。とはいえ自分は女性のヘテロですし、目線はあくまで腐女子という「外側」からのものでしかないと思います。でもその立場から「鑑賞」を超えて「共感」できるものも感じるんです。(「女性として」というとかなり重い話になるので、ここでは「腐女子」のほうを念頭におきます)

 

…たとえば、最後のエピソードで同性結婚の披露宴を控えた主人公がこんな言葉を口にします。

 

勝利のなかでも、人は何かを失うわ。反逆者、破壊分子、アウトローだって感覚を。

 

外野なのに恐縮ですが、これ、なんとなくわれわれ腐女子の状況にも当てはまる気がしました。同性愛が受け入れられていくにつれて「禁断の」という切り口は成立しなくなり、BL的表現もありふれて特別なものはなくなっていくこと。日陰の花を隠れて愛でるような感覚や、独特の緊張感のある美的感覚が薄れていくこと。いい悪いは別にして――というか、美的な問題としてはいいも悪いもないし、当事者の方たちとはまるで違う切り口で見ていることは承知の上で書きますが――皮肉にも「失う感覚」があることは重なるなあ……と思いました。

 

でもそうやってフィクションの題材として見る場合は、立脚点や時代設定を変えることで違うものを表現することは可能なわけです。「解釈」は「現在」の影響を受けて微妙に変わっていくとしても、JUNE/BL表現の選択肢は広がったのかもしれません。あるいは垣根がなくなっていき、ジャンルの境界がますますあいまいになっていくのかもしれませんが。個人的には特化したBLより境界的アプローチが好きなので、そういう流れは歓迎しています。

 

…うちの本をお読みいただいている方はお気づきかもしれませんが、現在kindleで配信中の小説はすべて、イギリス人のキャラクターを主人公として、男性同性愛がなんらかの形で絡むものです。(「ほとんど」だと思っていましたが「すべて」だと今気づきました!(^^;))必然的に、Queersで触れられているトピックをいくつか取り込んできました。そして意識したわけではないのですが、リリース時期を下るにつれて時代設定が現在に近づいてきました。(違法時代の『追憶のシャーロック・ホームズ』から始まり、同じ19世紀の『王殺し』、1970年代の『脳人形の館』と来て、現行のイアンシリーズは現代です)このタイミングで手に入ったこの本は宝物です。大いに学びたいところでアリマス。

 

これから読もうと思っているのは五本目の"I miss the war"(あの戦いが恋しい)。主人公は60代のゲイの男性で、時代設定は1967年。イントロダクションによると、合法化を必ずしもすべてのゲイが歓迎したわけではなかった、という切り口のお話だそうです。これはゲイティス兄――私より8ヶ月「お兄さん」です――がロンドンに出てきた当初にゲイ・パーティーで出会った人をヒントにしているそうです。

 

Queers: Eight Monologues (NHB Modern Plays) 

 (上記リンク先はkindle版。商品ページのペーパーバックへのリンクがなぜか別の本になっているので、
ペーパーバックのページにもリンクしておきます。→Paperback版

 

表紙左下のラッセル・トーヴィーさんは、SHERLOCKシーズン2の『バスカヴィルの犬』で
ヘンリー・ナイト役をやっていました。今回は六本目の"More anger"を演じてらっしゃいます。