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ペーパーに代えて~J庭54に思うこと~

今回ディスプレイのカード作りに大活躍してくれた「かどまる」くん。角を丸くカットしてくれます。POPも四隅が丸いと少し上品な感じが…(当社比)
今回ディスプレイのカード作りに大活躍してくれた「かどまる」くん。角を丸くカットしてくれます。POPも四隅が丸いと少し上品な感じが…(当社比)

J庭54、無事参加を終えました。ペーパーを作れなかったので、もし出していたら書いたかもしれない近況や、参加して思ったことなど書きます。(表向き(?)な「牛乃の日記」でのお礼とご報告より少しナイーブなB面的雑感です)

 

近況など

過去記事や旧作の再編集のような本が続いていて、フィクションの新作をお待ちくださっているリピーター様には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。家族の病気などから生活環境が変わり、「できる範囲のこと」の内容が変わったのは事実で、自分の体力も含めて、興味の方向も微妙に変わってきていると思います。フィクションに興味をなくしたわけではありませんが、再編集やノンフィクション(?)の評論系も、けっして間に合わせではなく「作りたくて全力で作った」本なので、年齢なりの自然な変化だと思っています。読み手様のご興味が重なる範囲で、これはこれとして楽しんでいただければと願うばかりです。
当日のスペース。お立ち寄りくださった皆様、本当にありがとうございました。
当日のスペース。お立ち寄りくださった皆様、本当にありがとうございました。

(いまさらですが)私なんかがJ庭に参加していいのかしらん(^^;)

でもそれが「J庭に持っていく本」として適しているかどうかについては、じつは疑問を感じるようになりました(いまさらですが☆)。bloggerのプロフィールに書いてしまっていますが、じつは「商業BLはちょっと苦手☆」になっているのが正直なところ。(以前は平気でしたが、最近は会場にディスプレイされる露骨なポスターなどが目に「きつい」です(^^;))そんな人間が「商業BL誌の持ち込み窓口」を併設するイベントに参加しているのですから。かといって、他に思いつく受け皿があるわけでもなく……。J庭というイベントの寛容さと、参加者さん(一般参加者さんも含めて)の幅の広さに甘えて端っこに参加させていただいているのが実感です。じつは今回も、前主催さんがおしゃべりに来てくださったのですが、その中で「いかにJ庭への参加が自分にとって楽か」を(だから続けてほしいというエールのつもりで)お話ししたことを思い返して……「あ、これって"自分にとっては"優先順位を誤っているかも」と感じました。

今回は「ホラー・オカルト」というどんぴしゃりな特設ジャンルに引きずられる形でわーっと盛り上がらせていただき、ほんとに楽しかったです。そして会場のアナウンスでは、次回の特設ジャンルは「メガネ」とか。…うーん、イアンはメガネをかけているし…などとまた我田引水に考えてしまいましたが、ああ、これは「流されすぎ」だわ……と。(^^;) 少しお休みをとって頭を冷やすのも一つの手かな、と思います。でも考えるより先に、まずは何か「やりたいもの」を作ってしまって、それを見て「ほう、こういうのがやりたかったのか。では露出先として適している場所は?」と探すのが順番かな、という気も。

イベントやお題に合わせて、というのはもちろん一つの手ですが、今の自分はそれに流され過ぎてる気がします。「作品ができてからでも、一か月後くらいのイベントに申し込める」と理想なんですが…(計画が固められるとストレスを感じて別の事がやりたくなる厄介な性質☆(^^;))「同人誌イベント」を基盤に、というところからももう少し自由になったほうがやりやすいのかも、とも感じています。コミケだとまた少し違うのですが、紙で出した同人誌と「同じものをkindleに」という今のやり方は足枷にもなるなぁ…と、今回「別冊」作りの中で切実に思いました。はっきりと分けて考えた方がいいのかもしれません。(ただ、両方「やめる」という選択肢が思い浮かばないのが、もう絶望的に「病膏肓に」だなあ…(笑))

 

 

「頭の中身と実行する中身」

この「頭の中身と実行する中身」…を一致させることって、自分にはけっこう難しいみたいです。そういえば大昔、ちょこっと付き合ってた人に「(付き合ってみると)中身が違い過ぎる」と言われたことがあったのを思い出しました。(うーん、そう言われてもなあ(^^;)) それからやはり大昔に投稿した漫画(コメディ調の幽霊もの)に対して、「この作者はすごく明るい面とすごく暗い面がある」と看破していただいたり…(尊敬する島本和彦先生の評でした。こちらは大納得!)。とにかく「ナニカが乖離してる」状態がデフォルトになってるのかもしれません。

そしてこれまでの経験に足を取られるというか、過去を再現しようとしてしまう(あるいは再現を怖れてしまう)ところもあるみたいで。年をとればとるほど過去の経験が(宝としてもお荷物としても)増えるわけで、よけいにそうなりやすいのかも。(でもこれっていい大人になれば…いや、若くても、ある程度は誰でもあることだと思うのですが)

例として適切でないかもしれませんが、毎年夏の酷暑で畑仕事中に熱中症になり、命を落とす高齢の方がおられますよね。「毎年夏にこれくらいのことはずーっとやってきた」という習慣を、無意識に続けた結果だと思うのです。頭では「違う状況だ」とわかっているようでも、実際の行動をそれに一致させるのは難しい。…ほんとに分野の違う例で恐縮ですが、「頭の中身と行動の中身を一致させること」の難しさを、若い頃よりも強く感じる今日この頃です。ちょっとした軌道修正でも、まるで「錆ついて固まった線路のポイント」を動かすような努力がいります。
 
逆の言い方をすると(いや、逆じゃないか☆)、「自分の頭の中身と表現・行動の中身に齟齬がある」感覚以前よりも強く味わっているという現状は、この年になってようやく意識できるようになった、というほうが正しいのかもしれません。でもこういう齟齬の感覚——「ある種の不満」て、尊敬する作家さんによると作り手を導いてくれるものだそうです。なので、苦しいけれど見て見ぬふりをせず、福音として捉えなくちゃ、と思います。